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2019-08-17

2019.8.26日(月)トビアス・エッカッター師を囲む会

8月25日の「トビアス・エッカッター師を囲む会」の報告です。 当日は、主宰の加藤を含めて5名の方がご参加くださいました。

まず先生より自己紹介と、キリスト教の偶像に関する教義、カトリックとプロテスタントとの偶像をめぐる文化の差異について等、短い時間でお話をいただきました。(当日のテーマは「偶像崇拝をもたない文化ともつ文化」でした) そのあと、お食事をしながら順に先生にご質問をさせていただくという時間になりましたが、たいへん盛り上がり、先生が答えるのにお忙しく、なかなかお食事に手が付けられないほどでした。 参加者のうちお一人が浄土真宗の僧侶様で、その教義にキリスト教との共通点も多かったことから、エッカッター先生、僧侶様とも楽しそうに語りあっておられました。他の皆様も、それぞれがご自身の信仰(あるいは研究)の課題に関連する質問を先生に投げかけておられたことと思います。

少しエッカッター先生の御紹介をさせていただきます。先生はドイツの方で、日本で宗教学を学ばれました。いったんご帰国されたあとに再来日して黄檗宗・万福寺の禅堂に入られましたが、はじめは研究目的で、ご自身が修行したいというご希望はなかったとのこと。しかし万福寺様のすすめでご修行されることになりました。1年間の修行ののちに、ドイツで牧師の資格を取り、今は教会の経営をされています。2年に一度、夏にご来日されています。 禅との縁は深く、来日前より座禅を組まれており、いまは教会でも座禅会を行っているとのこと。「クリスチャン以外の方も歓迎しています」とのことです。「普段、ご自身の自己意識を牧師においているか、禅僧においているか」というご質問に対しては「相手が自分との対話に何を求めているかによります」とのお答えでした。またテーマとなった偶像崇拝のお話に関しては「偶像に執着してはいけない。聖書もひとつの偶像である。書かれていることを自己都合で解釈し、そこで止まってしまうのでなく、その段階を越えてもらいたい」とおっしゃっていました。

当日は先生と皆様の間でさまざまな質疑応答のやりとりがありましたが、私にとっては以上の二つの先生の御言葉がとても印象的でした。 また以下に書くことも個人的な感想です。偶像への執着の問題に関しては、たとえばキリスト教や浄土真宗では個体ごとの尊像に、個別な聖性を認めませんので「それに執着しない」という教えも理解しやすいと感じます。しかし同じ仏教でも宗派によっては尊像そのものに霊験を認め、信仰や祈祷の対象にする例もあります。そのような信仰においては信者や行者は個体単位での仏像に対しての信仰をもちつつも、「仏も空である」と多重的認識を心に保ってくことになります。このことは言うのは一口ですが、徹することは難しいと感じました。仏も含め、すべてが空であるという認識はやはり頭だけではダメで、経験することが肝要なのだろうと感じました。

このように思い直すことができ、昨日の会は私にとってもたいへん有意義な会となりました。 エッカッター先生、ご参加の皆様ありがとうございました。 次回は2021年(2年後)の夏になります。 (エッカッター先生は、日本の宗教者の方々との交流も望んでおられます。よい企画が立てられれば幸いです)


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