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2021-03-13

丹生川上神社 日下康寛宮司 インタビュー

丹生川上神社鳥居より拝殿をのぞむ

このインタビューは、「文化財と信仰」(仏教サロン京都主催)という題の座談会開催にあたり、事前調査を目的として2020年8月29日に奈良県吉野郡東吉野村の丹生川上神社にて実施された。お話:日下康寛宮司 聞き手:加藤悦子(仏教サロン京都)

加藤:2019年(令和元年)大英博物館に御神体「女神坐像」と「罔象女神坐像」(どちらも奈良県文化財)をお貸し出しになられた経緯を教えてください。

日下宮司:当社としては、はじめは、ここまで(大英出陳)のことになるとは思ってはいませんでした。そもそも、当社の神様がお鎮まりになっている本殿、東殿、西殿という三つの建物があります。それらが、平成元年に村有形文化財になりました。しかし、それ以降、何の手当ても無くそのままでした。「手当て」と言うのは、村の次は県文化財に(申請する)ということになるのですが、これを全然していなかった。

私がここへ来たのは、平成19年です。そしてその時にお宮の屋根の檜皮が、だいぶ傷んでいました。そこで、何とか建物を県の文化財にしていただきたいと思いました。そうすると、修繕の経費のうち、5割~6割は公費で出るからです。東吉野村も過疎化が進んでおり、氏子から協賛を求めることも難しく、神社から、広く外に向かって寄付者を集める必要が出て来る。そのためにどうするかというところで、箔が必要ということもありました。それは、村の文化財か、県か、国か、ということですが、県の文化財になることが期待できると考えました。

平成23年に「村有形文化財 丹生川上神社 本殿、東殿、西殿、県文化財 指定具申」という形で陳情書を作りました。当時、吉野郡から選出された議員が、ちょうど県会の議長をしていましたので、その方を通して荒井知事に面会し、お願いをしました。そして3年後の26年は古事記編纂1300年でした。その時に、県の美術館で特別展の企画があり、当社にも「何か出してくれないか」という話が来ましたので、御神像を三体、出展させていただきました。県との繋がりを常に持っておきたい気持ちもあり出陳させていただいたということです。その時点でも、文化財指定は受けられていませんでした。そして思ったことは「これは建物では無理だ」ということでした。というのは、お宮は文政10年(1828)に建てられたもので、その時代の建築物というのは、奈良県にはたくさんあるのです。ではどうするか?と考えた時に、御神像が20体ありますから、それについて文化財指定を受けられないか?ということでした。社伝によると、奈良、平安、鎌倉に作られたというものなのです。一度、県の調査を受けてお墨付きをいただくことを考えました。

そう思ったのは、過疎化が進んでいるこのあたりの地域の、社寺で盗難が多発していることもありました。もしそうなった場合、データがあれば「これは丹生川上神社の御神像である」と証明されるので、見つけられる可能性もある。

当時、県も「神社に残る御神像の調査をしたい」という内々の申し出がありました。文化財保存課にいらした方に相談をすると「待っていました」というばかりに「ぜひさせてほしい」ということになりました。日程を決め、御神像を出して、来ていただくと見るなり「これはすごいものだ」と言われました。担当者として「私だけでは判定が出来ない」ということで、専門の先生に日を改めて来ていただきました。結果、20体すべて、奈良~鎌倉期のものであるとわかり、調査の結果、平成30年2月2日、20体すべてが県の有形文化財に指定されました。しかしながら、お宮の維持に関する補助金は、御神像の大きさに対していくら、というような形で微々たるものでしかないとの事でした。

加藤:御神像に対する補助金制度について教えてください。

日下宮司:御神像に対して現時点では補助金はありません。ゼロです。ただ大英博物館に出す前に、黴を取っていただくなど小修理的なことはしていただきました。

日下康寛宮司

さて、大英博物館に御神体を貸し出した件ですが、これは、フランスで春日大社の「若宮おん祭り」の紹介を行った(「ジャポニスム2018:響きあう魂」)ということがあって、次が大英博物館という流れがありました。大英博物館の時は、国を飛び越えて県が主体となった事業でしたが、これは異例なことでした。インバウンドを目的としたようで、コロナ以前の企画でした。2017年(平成29年)からそんな話がありました。当社では26年に御神像を県の美術館に出展していたことから、「あそこにはよいものがある」と皆、知っていたようです。それで県の方から「丹生川上神社の御神像もぜひ出してほしい」という話が来たのです。他の出展物の多くは、国宝か、国の重文でした。また、先方(大英博物館)にあった所蔵品(日本の仏像など)も一緒に展示されました。

大英博物館には朝日新聞の展示室「朝日新聞ディスプレイ」(Room3)と三菱商事の展示室「三菱商事日本ギャラリー」(Room93)があります。そこで「奈良―日本の信仰と美のはじまり」展という題で展覧会が行われました。

県から貸し出しの依頼状が来て、それに承諾書を返送して「女神坐像」と「罔象女神坐像」の貸し出しを行いました。輸送は空路です。8月中旬に貸出、展覧会が10月3日から11月24日。当社に御神像がお戻りになられたのが12月15日です。8月に貸し出して、イギリスに運ばれる前に、黴を落していただくという作業が入りました。

神社での動態保存、動態展示となると、刀など美術的な価値のあるものは宝物館等で展示はできるでしょうが、御神像ということになると難しい。仏教では、仏像を公開していますし、秘仏でも数十年に一度のご開帳もあります。実際に見ていただいてご説明はできますが、神社では公開は難しいです。しかし、今回、公開したのは「こういうものが実際にある」と認識していただくためと、こんな東吉野村の山奥に、これだけの御神像が、奈良・平安といった時代からずっと大事にされてきた。土地の皆様の信仰心というのでしょうか。そういうものを少しでもわかってほしいという願いがありました。

加藤:大英博物館やイギリスの方々のご評価はいかがでしたか?

日下宮司:現地では、いちばんよいところ(フロアの中央)に展示していただき、大変な反響で、40万人を超える見学者が訪れたそうです。ヨーロッパの方は、美に対しての意識はとても高いです。イギリスに行った際は、大英博物館の他にも見学で各所をまわりましたが、向こうでは展示物(彫刻)を直接に手で触れるようになっています。美術が身近なのだと思いました。絵画も目の前まで行って眺めることができ、その場で写生もできます。写真も撮れます。

加藤:大英博物館における「奈良―日本の信仰と美のはじまり」展の場合は、その点はどうされましたか?

日下宮司:展示はケース入りです。写真撮影はできたと思います。日本のスタッフからは、写真撮影は控えてほしいという要請はしていましたが。

加藤:お性根抜きに関して伺います。仏像の場合は、輸送の前に抜くそうですが、御神像の場合はどうなさるのでしょうか。

日下宮司:神様を別のもの(依代)にお遷しします。御殿に神様がいなくなってしまいますから。お遷しをして、ひとつの工芸品という形で出陳しました。ただ御神霊を他に遷した御神像でも、神社内で移動の時は、幕(絹垣)を張って外から見えないようにしてお運びします。その御祭は、だいたい、暗夜に行います。

加藤:御神像をめぐるダイナミックな動きがあったわけですが、先生のご感想はいかがですか。

日下宮司:出展の決断の動機は、こんな過疎の奥深いところに、昔からご信仰されてきたものが守られてきている。それをまず見ていただきたかった。これが一点と、それからさきほども申しましたが、盗難に備えるためということがあります。

実は私は、年に3回は御神像を実際に拝んでいます。6月の水神祭の前、10月の例祭の前、そして12月の年末。この時には白衣、手袋とマスクをして神殿の中をお掃除し、御神体に異常がないかを確認します。万一、盗難に遭った時に「どこのものかわからない」ということになると困りますので、「これは丹生川上神社の御神像である」というひとつの(証明になる)形を作っていきたいと考えました。しかし主な動機は、奈良から平安にかけての立派なものが、日本にはたくさん残っている、そうしたものに触れていただきたいという思いでした。当社の御神像で大英博物館に出陳したのは二点で、「女神坐像」と「罔象女神坐像」ですが、「女神坐像」は、極彩色が鮮やかで、また、「罔象女神坐像」にはえくぼもあります。

長年の間には戦火もあり、神社も火災にあった事がありました。その持ち出した際に、手が無くなったり、又、後ろ半分は焼けてしまい、焦げの跡が残っている御神像もありますが、それでも現在まで守られ残っているという事実があります。

加藤:明治以降は御神体が御鏡、剣などに変化していった例が多いと聞いたことがありますが、ここに御神像が残っていった理由はどんなことなのでしょうか。

日下宮司:村人のご信仰でしょうね。盗難に遭っていないというのが一番です。今の美術工芸品で売られているものがありますが、ああいうのは全部、盗掘か、持ち主が出したものでしょう。たとえば、古い時代の考古学分野では発掘調査をした時に、10あったら表に出るのは1つか2つ、あとの8つは全部横に流れているそうです。昔の話ですが。横に流れたものは「どこから出た」というレッテルが貼れず、貼れれば、価値はだいぶ違ってきますが。まあ、盗難というのが一番怖いです。この村でもだいぶ盗難に遭っています。

加藤:氏子の方々が、神様を大事にしてこられたので御神像が残ったのでしょうね。

日下宮司:そうですね。昔の人はそれだけ信仰心が強かったのでしょう。

加藤:明治以降の神道の変化と、御神体の変化の関係について教えてください。祭式が統一されたそうですが、御神体も時代の変化があったのでしょうか?

日下宮司:「三種の神器」つまり剣、御鏡、勾玉の影響もあったでしょう。刀に関しては刀工がいましたから打ってくれたでしょう。また江戸時代には、武士階級には日常の物ということもありました。村のどこかには刀があった。それを神社に奉納した…ということから、やがてそれが御神体になっていく。そういうこともあったと思います。また鏡については、神道においては「真澄」(ますみ)と言って「心は常に清らかに」ということを尊びます。鏡は心を映すものとして、神様の心を映すようにご神体を鏡とする。よって鏡を御神体とする例も多いです。

加藤:鏡は明治以前から多くある御神体ですね?

日下宮司:そうですね。また、勾玉は胎児を意味しています。子孫繁栄という意味合いもあります。三種の神器(という思想)から、そういうものが御神体になっていったということがあります。

加藤:御神像でもたとえば松尾大社さんの女神像などはとても有名ですが、展示されていますね。御神体として維持されなかったのはなぜなのでしょうか?

日下宮司:国から国宝や重文といった文化財指定を受けてしまうと、閲覧しなければならないので、そういう形(工芸品として展示する)を取ったのでしょうね。

加藤:そうなんですか。先生のところでは、どうなるのでしょうか。

日下宮司:やがてそうなるかもしれません。何年か先には国宝指定とも考えられていますから。

加藤:先生としては、御神体を展示されることも、丹生川上神社様のご事業の一つとして行かれるご姿勢なのですね?

日下宮司:それは施設がなければ難しいですね。

加藤:お貸し出しになられることは…。

日下宮司:それは考えています。やがては、御神体のレプリカを作り、それに神様をお遷しするような形になるでしょうね。だから今、短期間の貸し出しである場合は、違うもの(レプリカでないもの)でもよいわけですが、長期間となると必要だと思います。

加藤:展示に関しては、色々な規制があるとは思いますが、自由にできるとしたらどういう展示法をお望みになりますか?

日下宮司:古いものですから、見学者の手が触れないような形ですね。たとえば罔象女神坐像にはまだ彩色の跡が残っています。触ってしまうと欠落します。だからケースに入れてほしいです。

加藤:他に何かございますか。

日下宮司:別に無いです。

加藤:たとえば、御仏像でしたら、見上げられる位置に置いてほしいというお声や、お堂と同じように照明を暗くしてほしいという声もありましたが。

日下宮司:そういうことは、学芸員さんの方が一番よくご存知ですので、こちらからノウハウを提供することもないように思えます。向こうから「高さはこれぐらいでよろしいでしょうか?」と言って来られるのではないでしょうか。今回の場合でも、展示台やケースについて向こう(県を通して大英博物館)から打診が来ました。光が当たりすぎないように、光の角度なども相談がありました。プロですからね、向こうは。

加藤:県にお貸し出しになられた時はいかがでしたか。

日下宮司:専門業者(日通)が梱包に来まして、箱もきちんと作ってあるし、丁寧で、ひとつのものを入れるのに1時間ぐらいかけて行っていました。

文化財の扱いは、大変難しい面があります。例えば当社の本殿の横に、重文の石灯籠(弘長4年1264年)があります。保存には野ざらしでいいのか、屋根をつけた方がいいのか、専門家に聞いても意見は異なっています。「ここに自然のままあるから自然の方が良い」という先生もいます。しかし「文化財だから、雨風にあたったら風化していくから、屋根をつけるほうがいい」と言う方もいます。どちらを取ったらいいかわからないですね。そして本殿の後ろには、木がたくさん生えています。「木があって、本殿があるから素晴らしい」という考えは「風致」です。そのままの姿、景観を保存する考えです。しかし文化財という考えですと、上から落ち葉が降ってきて檜皮の上に多く積もったら屋根が腐ってしまうとか、日陰になるより日が当たった方が良い。だから後ろの木は切ってほしいということになります。このように、ひとつのことでも分野や専門家によって意見が異なってきます。

加藤:ありがとうございました。次に「崇拝対象文化財」についての国民意識や、法律の持つ課題について、思うところをお聞かせください。

日下宮司:これも難しいと思います。神社というものは、御神体が常に中にお鎮まりになっています。そして常に「造替」(ぞうたい)といって外の建物(御神体を納めるお宮)を新しいものにしていく。神様の力が衰えてこられるから、新しい力を持った姿に蘇るために新しい建物にするわけです。それは伊勢の遷宮と一緒ですね。20年に一度とか、50年に一度のご造替があるところもあります。しかしならない場合もあります。例を言えば、春日大社のご本殿は、以前は20年に一度建て替えていたんです。そして古い建物はどこかにお下げしていた。たとえば宇陀の水分神社とか枚岡神社などに行き、今は国宝になっています。春日さんの場合は、本殿(現在、国宝)を常に新しいものにしていくと「もったいない」という意識から「修繕」という形になっていきました。

文化財とは「守っていくもの」であると同時に「守られているもの」です。この二つの側面があります。「守っていくもの」とは、中で奉仕する神職が社を守っていくこと。そして「守られているもの」とは、地域に根差した神社は氏子・崇敬者から守られていかなければならない、これはお寺も同じですが。それは(文化財のある聖地の)周囲の住民にはじまる、国民の意識によって守られているということです。大きく広がっていくことが「守られていく」ことになるのでしょう。

建物は老朽化していきますから、修繕を加えてそれを維持し大切にして行くというのが、日本の文化です。例えば法隆寺ですが、日本人とはそういうものであるといえます。木の文化では、悪いものを取り替えていって、常に新しいものに入れ替える。すべてを取り壊して新しいものにするのでなしに、一つ一つ、修理をしながら次の時代に持って行くという「修繕」です。それが文化財の指定を受けていきます。御神体というのは人目に触れない。だから指定も受けませんが、実際には国宝級のものもたくさんあるでしょうね。それは、さきほど話に出た剣、御鏡、勾玉も同様です。この時代のものだという社伝があるわけです。

当社の御神像が一番よい例で奈良や平安末期からあると言われてきて、実際に表に出してみたらその通りで「これはすごいものだ」ということになった。そして県は文化財に指定しましたが、そこで守っている神主の理解がなければできないことだと思っています。「これは神様だから人に見せるものではない」と考えることもできます。しかし日本人はそうではないですね。地域の人からはじまって、皆が守ってきたものが「こういうものだ」と示せば、人の心に響いていくのではないでしょうか。神社にお越しいただいて、手を合わせていただくのも良いですが、丹生川上から出て行って、東京・京都・九州の博物館などで手を合わせていただくのもまたひとつの方法ではないかと思います。来たくても、来られない人もいるでしょうから。神道人というより、宗教人であればおおらかな気持ちをもって、そこまでした方が良いのではないでしょうか。

加藤:素晴らしいお話をありがとうございます。そうしますと、今の展示法についての制限であるとか、ここが問題であるというようなところは、先生は感じていらっしゃらない…?

日下宮司:私はあまりないですね。法律も「これがダメだ」となれば、また新しいものが出来ていきますから。まずはやはり、(展示に)出す、出さない。それでしょうね。たとえば、お寺さんでも文化財をお持ちだとして、それについて、「ぜひ展示に出してください」という要請があれば、そこの(お寺の)方が考えて判断することになります。それに対して法律どうのこうのはないと私は思っています。寺院や神社にも規則はあります。それに抵触するかどうかでしょうね。文化財を動かす際の手続きなどは、展示会の主催者がすべてしてくださいます。

加藤:貴社を会場として、補助金で開催できるような展示会で、スタッフも県から派遣されるというような展示会のリクエストはないのでしょうか?

日下宮司:今のところはありません。というのは、今年は日本書紀の編纂から1300年にあたる年で、いろいろな企画はあったようですが、コロナの関係ですべて潰れています。そしてここの村単位という形ではちょっと難しいように思います。次の「全国御神像展」などがあれば、要請は来ると思いますが。その時は、出来れば出させていただきたいと今は思っています。

加藤:私自身がこの企画に関わっている理由は「仏像が文化財に指定されることによって維持が優先されるようになり、祈りの機会がなくなる」というような例を知ったことからでした。たとえば、廃寺にあった仏が、定期的に講の集まりで拝まれていた。しかし、お像の維持のために県に寄付され、美術的に優品だったので展示の為に美術館が作られた。結果として講は解体してしまったというケースがあります。

日下宮司:神社仏閣、どちらにも関わらず、祈りというのは、日本人にとって一番の力です。祈ることによって人を殺すこともできるし、生かすこともできる。丑三つ時に行う呪詛も、「お前、馬鹿か、あほか」という言霊によってその人が自然と落ち込んでしまうこともある。それも祈り(宣る)です。木村先生(※「文化財と信仰」座談会の座長)がおっしゃるように、(仏が)そこにあって祈りがあるという形になっていたものが、祈りがなくなり文化財になって美術館に運ばれて行ったと思います。

加藤:私たち現代人は、発遣(はっけん,僧侶が仏像から魂を抜くこと。展示に出す前などに行われる)してある文化財としての仏像と、性根の入っている祈りの対象である仏、仏像という2種類の仏を小さいころから並行して見ています。その際に、これは単なる「物」です、これは「仏」ですという説明は受けておらず、内心では両方が混然一体となっています。「物ではない仏」と向き合う心が育ちにくい点があると感じます。急には祈りが育っていかないという問題があると思います。そこで仏教界では、心ある僧侶さんが文化財の扱いに関して「このままではいけない」と思っていらっしゃる。仏を仏として感じられない人が多いことへの問題意識であると考えています。しかし神社さんの場合は、土地そのものが聖域ですので、場所にくると何か感じられ、心に響くものがある。仏教と、少し状況が異なるように思います。

日下宮司:それは、私たち(神職)に言わせてみれば、仏僧の方々、仏にたずさわる方々が、それ(信仰としての仏)を壊していったのではないでしょうか。

加藤:そうですね。

日下宮司:煌びやかな(きん)ばかり使っているお堂があったとして、煌びやかな袈裟を付けた人がお祈りをしている。片や、さびれたお堂があり、そこにもお祀りされている仏さんがいて、質素な袈裟を付けた人が祈っている。どちらも、まったく同じです。しかし、そういうもの(煌びやかな場所で煌びやかな袈裟を付けた人がお祈りをしていることが評価されること)を作っていったのは、仏教ですよね。しかしそれはそれで良いと思います。(見る側が)判断させていただけるのもまた良いことだと思います。そうした側面は神社にもあり、観光で来ていただける神社、信仰で来ていただける神社、中間の神社。パワースポットとして賑わっているところもあります。色々な神社仏閣がありますが、そこにつとめている神職や仏僧の考え方の違いでしょうね。そこにつとめている人に(神仏への祈り)気持ちがあれば、そこに足を踏み入れた時に、何とも言えない柔らかさや荘厳さに身体が包まれるというか、それはありますでしょうね。

加藤:たとえば、さびれた、寂しい気に包まれた神社さんがあったとして、そこに派遣されたきた宮司さんが一生懸命に神様にお仕えされるとしますね。そうすることで神社全体の気が変わっていき、植物から出る気すら変わる。そういうことは、あるのでしょうか?

日下宮司:ありますね。私が思うのは、掃除が行き届いていない神社仏閣は、神仏の力が無くなっていくということです。雑草の一つも生えていないところにお参りすれば、来た人も気持ちがいいですし、自然とそこには気が充満して行くと思います。神様も住み良いですから、気が高まっていくでしょう。

丹生川上神社境内のご神木

加藤:やはりそうなんですね。ありがとうございました。たとえば、お気の荒い神様がいらっしゃるところに、穏やかなご性格の宮司さんがいらっしゃって神様の御性質が変わるということもあるのでしょうか。

日下宮司:あります。お掃除することは、そこにおられる神様や仏様がその身を洗うことになりますので。

加藤:そこを訪れる方が、良い場所であると感じ、言祝ぐことで神様もお喜びになり穏やかになられることもあるのでしょうね。

日下宮司:そうですね。

加藤:今日は本当に素晴らしい、奥の深いお話をたくさんありがとうございました。

2020年9月15日に、日下宮司を招いて開かれた「文化財と信仰」座談会。座長の木村良勢師が住職である、奈良県桜井市の法栄寺で開かれた。

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