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2018-09-10

金菱 哲宏先生/エッセイ

ヨーガの起源はよくわからない。
インダス文明の遺跡から出土した印章に刻まれた、ヨーガの坐を組んでいると思しき人物(神)のイメージが有名で、ヨーガはこの時代からあったという説もある。
しかし、ヨーガが文献にはっきりと現れてくるのは中期ウパニシャッドの時代である(実はインド最古の聖典、4大ヴェーダには行としてのヨーガは出てこない)。

「身体を、三点(『バガヴァッドギーター』によると体幹と頭と首)をまっすぐに起こして立て、諸感官を意識とともに心臓へと没入させ、ブラフマンの浮舟によって、恐れをもたらし来る全ての瀑流を智者は越え渡るべきである。
この[身体における]呼吸を抑えて、[身体の]動きを統制し、呼吸を止めんがばかりにして鼻によって呼吸をおこなうべきである。 悪馬に繋がれた馬車のようになったこの意識を、智者は注意深く把持すべきである。
平らで清浄で、石粒や火や砂礫がなく、[心地よい]音や水溜まり等がある、意識に適っており、目に心地よくないもののない、洞穴によって風を遮る隠処にてヨーガを行ずべきである。」(シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド 2.8–10)

ここにはおそらく複雑な行法はない。
清澄な場所に、静かに瞑想しているヨーガ行者の姿がイメージされる。
身体と呼吸と意識の統御。
ただシンプルに坐る。

行のヨーガとして初めて文献に現れたこのような行者のあり様こそが、ヨーガの本質であると私は考える。
時代が下るにつれて、様々なヨーガの形が誕生し、発展し、それぞれの体系を成熟させていった。そのどのヨーガにも、このウパニシャッドに現れたヨーガの本質が含まれている。

当講座では、このウパニシャッドに表されているようなヨーガの本質を体感してもらいたいと思っている。
「ヨーガの身体技法」と「ヨーガの呼吸法と瞑想」。
「身体技法」では、瞑想をできるだけ長い時間、楽に安定して行える身体を作ることを目的にして行うが、身体を動かすこと自体が瞑想となるような身体と呼吸と意識の使い方を実感してもらいたい。
「呼吸法と瞑想」では、呼吸を制御し、瞑想に適った身体と呼吸と意識の状態を作り出す。そしてそのまま瞑想へ入っていく。

いずれの実修も、厳しい現実を生き抜く上で溜まってしまったストレスを緩和してくれる効果がある。自分の身体や呼吸や意識自体を意識できるようになり、そしてそれらと対話することができるようになる。身体は楽になるし、気持ちもフッと軽くなる。しかし、もし縁があれば、そのような効能を超えて、自分とは何か、世界とは何か、いのちとは何かということの答えの緒に出会えるかもしれない。それがヨーガの本当の力であると信じている。

上に訳出したウパニシャッドは、ブッダが生きていた頃とほぼ同時代のものである。まだ仏典も教義を体系化する前で、ブッダ自身もシンプルな瞑想=ヨーガを行っていたであろう。ヨーガ自体も教団の違いを超え、人種の違いを超え、そして国境を超えて、現代まで実践され続けてきた。

この講座に参加される皆さんにも、ぜひただただ身体を動かす、呼吸をする、坐る、瞑想するということをシンプルに体験してもらいたい。ブッダのように裸一貫になって、あらゆる目的やはからいを捨てて、ただヨーガを行ずるということに身を委ねていただきたい。

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